カタロニアの謎

カタロニアというところにずっと興味を持っていた。カタロニア(カタルーニャ、というのが正式なのだろうけれど、私は昔からカタロニアと言ってきたので、ここではカタロニアで通すことにする)とは、スペインの一地方である。でも、一地方、といって済ませられないものがそこにある。その理由は、あまりにもたくさんの芸術家が出ていることだ。

まず、パブロ・ピカソ。ただし、正確には、彼は生まれはカタロニアではなく、アンダルシア地方であるが、ピカソのピカソたる生き方を決定づけたのはバルセロナでの生活だった。
そして、ジョアン・ミロ。彼は、正真正銘のバルセロナ人である。
アントニ・タピエス。彼もバルセロナ生まれ。
サルバドール・ダリ。彼もフランス国境に近いフィゲラス出身のカタロニア人である。
それから、アントニ・ガウディ。サグラダ・ファミリアで有名な、モデルニスモの建築家である。
音楽の分野では、作曲家のアルベニスやグラナドス、そして、チェリストのパウ・カザルスがカタロニアの出身だ。

特に、私はギターをやっているので、ギターを弾く人間にとってはカタロニアというのはまた特別の地域である。
偉大なギタリストにして作曲家だった「ギターのベートーベン」、フェルナンド・ソルはバルセロナ生まれ。バルセロナ近郊のモンセラート修道院(少年聖歌隊で有名)で音楽教育を受け、音楽の才能を開花させた人。
「アルハンブラの想い出」で有名なフランシスコ・タレガは「近代ギターの父」。優れた作曲家、編曲家、ギタリストであった。彼はバレンシア生まれだが、バルセロナを本拠として活動し、バルセロナで亡くなっている。
ギターの楽譜の題名、速度指示、様々なギター用語などがスペイン語なのは、スペインがギターの中心地であったことを示しているが、スペインの中でもなぜか「カタロニア民謡」はギターの重要なレパートリーになっている。おそらく、カタロニア人のギタリスト、作曲家たちが編曲し、演奏したものが世界中のギタリストのレパートリーとなっていったのだろう。

とにかく。
このくらい並べれば、誰でもさすがに「なぜ?」と思わずにはいられないだろう。
そして、私も思った。「なぜ、カタロニアなのだろう?」と。

こうして、私は1週間の休暇を取って、9日間の旅程でバルセロナに向かった。
一人旅である。英語は通じないと聞いたので、3ヵ月で片言スペイン語を詰め込んだ。


ガウディは、文句なく実に素晴しかった。日本で写真を見るとどちらかというと奇をてらった悪趣味に見えてしまうが、実際にそこに身を置いてみると、実に人間の自然に合わせて作った気持ちのいい空間、造形だった。ガウディの建物が実に自然に街の中に溶け込んでいるのは、やはりバルセロナという街とその人々の柔軟性、教養の高さを示しているように思えた。

残念ながら、クラシック・ギターを聴ける機会はなかった。ほんの短い滞在だったから。
確かに、とても素敵な街だけど、私が知りたかった「謎」は、相変わらず謎のままだった。
突然鍵のひとつが与えられたのは、モンセラート修道院に行ったときだった。

モンセラートというのは、バルセロナから鉄道で1時間のところにある、すごく異様な景観の岩山で、聖地として千年以上の歴史をもっている。今でも修道院があり、少年聖歌隊(前述のフェルナンド・ソルが教育を受けたところ)も健在である。
ここは、フランコ独裁時代、カタロニアの言語、文化すべてが禁止された時代にあっても、カタロニア語でミサを続け、カタロニア人の心の支えであり続けたところだ。黒いマリア像というのが本尊として篤い信仰を集めている。フランコ時代にフランスに亡命したチェリストのパウ・カザルスも、モンセラートの少年聖歌隊のための曲を作曲し、「皆さんがモンセラートで私の曲を歌ってくれていることを思うと、大きな慰めが訪れる」と手紙にも書いている。
ガウディも、モンセラートの岩山の景観に建築のインスピレーションを受けたといわれる。

そのモンセラート修道院に併設されているモンセラート美術館で、ピカソやミロ、タピエスと並んでカタロニア国旗が飾られているのを見たとき、突如私の中で全てが繋がったような気がした。
この、中世からの伝統を今に受け継いでいるキリスト教が、すべてをひとつに繋いでいる、と。
そういえば、グエル邸の中心には聖母マリアの祭壇があったし、グエル公園の中のガウディの家の彼の寝室にも、マリア像が掲げられていた。何より、ガウディの一番のシンボルは、100年以上たって今も建築中のサグラダ・ファミリア聖堂ではないか。

このひらめきは、翌日カタルーニャ美術館で確信に変わった。カタルーニャ美術館は、ロマネスク美術のコレクションで有名なところである。ロマネスクはゴシックの前の時代で、洗練されたゴシックに比べて非常にどろどろとした、しかし強烈で力強い宗教画で、私はショックを受けた。しかも、それらがもともとあった場所は、みなピレネーの麓のすごく辺鄙な村の崩れそうな教会ばかりなのである。
いったい、なんなんだ、これは、と私は動揺した。そして、その12、3世紀の宗教画の世界が、まっすぐモンセラートへ繋がっていった。

ルーツがそこにあり、その中世キリスト教の影響が今日まで続いていることはほぼ間違いないだろう。だから、カタロニアのロマネスク時代をもっと知れば、おそらく「カタロニアの謎」に一歩近づけるのではないか、というひとつのヒントを得て、今私はカタロニア・ロマネスクの勉強を始めている。そして、今度はロマネスクの教会を見に、カタロニアのもっと奥の方に入っていきたいと計画を始めた。

しかし、カタロニアの芸術家たちにとって信仰が核となるものであったとしても、信仰心の篤い地域の全てが芸術的になるわけではない。だから、やっぱり「なぜ、カタロニアなのか」は、依然として謎のままなのである。

(Aug. 10, 1997)

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