今年の鈴鹿はおもしろかった〜F1文化論

今年も鈴鹿が終わった。去年はヒルがワールドチャンピオンになった以外は特になんということもなかったけれど、今年はいろいろドラマチックな鈴鹿だった。
まず、片岡右京選手の引退発表。6年間やって、所属チームの力と成績は尻すぼみになっていって、まあ周囲としてはあまり驚きもしなかったけれど、やはり残念。いくら最下位をうろうろしているとはいっても、日本人としてはF1を走っているというだけで最高峰の存在だったのだから、やはり応援しない訳にはいかなかったし、それが今の日本の現実なのだから。
それから、ジャック・ビルヌーブの出場停止騒ぎ。違反が二つたまって、サッカーのイエローカードと同じで出場停止になったのだが、なんといっても今現在ドライバーズ・ポイント・ランキング1位だし、予選では1位でポールポジションだし、出ない訳にはいかない、ってんで、大枚はたいてチームが抗議して、仮出場はできることになった。でも、ポイントが有効になるかどうかは後日の裁判を待たないとわからないらしい。

でも、でも、なんといっても話題はフェラーリの復活・大勝利である。
今年はずっとリードを続けていたフェラーリが、地元のイタリアGP以来ここ2戦続けて大不調だったのに、みごと鈴鹿で復活した。もちろん車の仕上がりが良かったのだが、最も印象的だったのはエディ・アーバインの活躍だった。
天才ドライバー、ミハエル・シューマッハーの陰にかくれて、普段は全然存在感のない(と私は思った)彼が、これほどすごい奴だとは思わなかった。あの、S字コーナーでの鮮やかな抜き方!!2台一度にパスしてしまうなんて、信じられない。聞けば、彼はF1に来る前はF3000という日本のレースで、3年間みっちり鈴鹿を走り込んだそうな。その熟知した鈴鹿の得意なコーナーで、あんなに鮮やかにあっという間に3台パスし、その後には2位に追い付いたシューマッハーに1位を譲って、後から来るビルヌーブをブロックしてあげちゃうのだから、もうこんなかっこいい奴はいない。その内助の功的な姿が特に日本人的美意識にたまらないのかもしれないけど、たぶんチームとしての姿として世界中の人がみてもやはりかっこいいと思う。結局エディ自身も3位でチェッカーを受けて、優勝したシューマッハーと抱きあう図は実に美しかった。いやいや、いいものを見せてもらいました。

そんな風に、F1の前は日本のレースで走っていた、というドライバーは結構たくさんいる。なのに、どうして日本人とこんなに差がついてしまうんだろう。もちろん、一番いいチームに日本人がいないというのもある。でも、いくら一番いいチームにいても勝てる訳ではないのは、以前シューマッハーがいた頃チャンピオンだったベネトンの低迷を見ればわかる。やはり、シビアだけど、才能の問題なのだ。

才能は、しかし、育てなければ育たない。少し前の日経に載った、モータージャーナリストの吉井妙子さんの記事によると、シューマッハーを育てたのはドイツの自動車メーカー、ベンツだという。一流のドライバーを育てるのにはとにかくコストとエネルギーが必要だ。それを、ベンツが支援し、幼い頃から英才教育を施した。しかも、何の見返りも求めない。彼等を育てたことを公にもしないし、また自らのチームに所属させることもしない。つまり、わざわざ膨大なコストとエネルギーをかけて、ライバルチームのドライバーを育てているのだ。その理由は、モータリゼーション社会に対する社会還元の一策だという。だから、育てた彼等が活躍してくれれば、どこのチームでも構わない、と。

今回、鈴木亜久里さんがF1プロジェクトというのを発表した。シューマッハーのようなドライバーを日本にも育てるため、全面的に彼が若いドライバーをバックアップするので、やる気のある子供たちはどんどん来てほしい、という。ヨーロッパに比べれば、道路の設備やマナー、そして何よりドライビングを楽しむという点で、日本は格段に遅れている。しかし、そのハンディをはねのけて、日本にも一流の素晴しいドライバーが生まれてくれれば、日本の車に対する意識、文化水準もまた格段に向上するはずだ。そういう日が遠からず来ることを願う。

少し前のドイツGPで、ベルガーという38歳現役最年長のベテラン・ドライバーが優勝した。鼻の手術による欠場、父の死を乗り越えて、ポールポジションから優勝へと突っ走った彼が言った言葉。
「レースは精神的なものであるということを知った。様々な困難が、私を精神的に鍛えてくれた。」
あのとき、初めてレースを見ながら涙した。やっぱり、F1は文化だ。

(Oct. 14, 1997)

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