
おもしろい話を聞いた。
昔、ミッション系の幼稚園に通っていたという人の話。
そこでは、毎日だか週に数日だか、キリスト教についてのお話があって、あるときこう言われたそうだ。
「あなた方は神様の子供です」
それを聞いて、ある男の子がいった、「僕は神様の子供じゃない、人間の子供だ」
何度言われても頑として聞き入れないので、とうとうその子の親が幼稚園に呼びつけられて、散々怒られたそうだ。
でも、呼びつけられて怒られたその子の母親は言った。
「そんなに怒ることないじゃない、だってやっぱり人間の子供よねえ」
もうひとつ。
その幼稚園では、毎日お弁当を食べる前に、「神様、今日も食べ物を与えていただきありがとうございます」とお祈りをしていた。
それを子供から聞いたある母親が言った。
「お弁当を毎日一生懸命作っているのは神様じゃなくて母親なんだから、『お父さんお母さんありがとうございます』とか言ってほしいわよねえ」
たぶん、そのときの子供たちや親たちは、今でも考え方が変わっていないのだろう。なぜ「神様の子供」なのか、食前に神に祈るのか、未だにわかっていないだろうし、そんなこともうとっくに忘れているのだろう。そんなことはナンセンスだと思い、疑問にも思っていないかもしれない。
残念なのは、そういう素朴な疑問に対して、納得できる答え方をしてくれる人が、その幼稚園には誰もいなかったことだ。
自分が小さいころのことを考えてみても、幼稚園に入るぐらいの子供というのはもうずいぶんといろいろ考えるし、理解もできるものだ。
そういう子供たちに対し、ただ闇雲に押し付けるのではなく、きちんとした説明をすれば、かなりのことが理解できるのではないかと思う。
その当時のその幼稚園の先生たちがどんな説明をしていたのかはわからないけれど、私ならこう説明するだろう。
確かに、君は人間のお父さんとお母さんの子供だ。そういう意味では、確かに君は人間の子供であることに間違いない。
でも、君はどうして隣のおうちの子ではなく、君のお父さんとお母さんの子供で生まれたんだろう。
どうして君は、男の子だったんだろう。
どうして君は、昔のお侍さんの時代や戦争の時代でなく今の時代に生まれたんだろう。
そういうことは、君にも分からないし、私にも分からないし、君のお父さんもお母さんもわからない。
でも、わからないけど、君は生まれた。
そして、今こうして生きている。
この世界には理由や意味がないことなど何もないんだ。
だから、君がお父さんとお母さんの子供として生まれたことにも意味がある。
私たち人間にはわからないけど、君にとって一番いい場所と時代に生まれさせてくれるように、考えて準備してくださったのが神様なんだよ。
神様が生まれさせてくれなければ、君は生まれてくることもなかったし、今こうして生きていることもない。
だから、君は、お父さんとお母さんの子供である前に、神様の子供なんだ。
お弁当のこともおんなじだよ。
確かに、お弁当を作ってくれたのは君のお母さんだし、お弁当の材料になる食べ物を作ってくれたのは農家の人だ。
だから、君はお母さんや農家の人に、お弁当を作ってくれてありがとう、食べ物を作ってくれてありがとう、といわないといけないよね。
でも、食べ物ができるためには、太陽の光がないといけないし、水もないといけない、土もないといけない。
それは、人間が作ったものではないよね。
それは、あって当たり前だと思ってしまうけれど、決してそうではない。
気象がおかしくなってしまって、晴れる日がなくなればだめだし、雨が降らなければやっぱり作物はできない。
それに、君もテレビで見たことがあると思うけど、世界には食べ物を十分に食べられない人たちがたくさんいる。
そういう世界の中で、毎日お弁当をおいしく食べられることは、本当にありがたいことなんだよ。
君がお弁当を食べるために、本当にたくさんの目に見えない力が働いている。
だから、その見えない力に対して、「神様、ありがとうございます」っていうんだ。
君のお母さんも、「毎日子供のためにお弁当を作ることができて、ありがとうございます」っていうのが本当なんだ。
自分の子供に食べさせるものがなくて、飢え死にさせてしまう母親も、世界にはいるんだからね。
そのことを考えれば、毎日お弁当が作れるということは、本当に幸せなことなんだ。
こういうことは、特に宗教的なことだとは思わない。
昔の日本人なら、食べ物に感謝して、お天道様に感謝して、日々を過ごすのが当たり前だった。
目に見えないことに対する想像力や感謝というものを、省みられないのは悲しい。
その結果が今の時代なのだと思う。
時代は1999年。
「神様」のことについて、みんなが考えるべきときだ。
(JAN. 21, 1999)