いまどき、本当にミュージシャンと呼べる人たちって

いったい、何から話せばいいのかわからない。
あまりにもいろんな思いがありすぎる。
でも、まずは、日本の音楽の状況に対して、ずいぶん長い間つもりつもった不満とフラストレーションと怒りと蔑みと失望と諦めといったものが、とうとう暴走した、ということをいわなければいけない。

そもそも、音楽というものは、聴いていて自然に気持ち良くなったり、どきどきしたり、考えこんだり、思い出したり、そして、思わず一緒に歌ってしまったりするものではなかったんだろうか?
いつの頃からか(って、だいたい犯人ははっきりしているのだが)、日本での音楽は、リズムにしろ、言葉の選び方にしろ、メロディーへの乗せ方にしろ、声の出し方にしろ、想像力を遊ばせたり自分の心を自由にしたりすることとは全く逆の方向へ行ってしまった。
大体が、今や名物プロデューサーとタイアップと踊りとカラオケがあって初めて売り出してもらえる輩ばかりじゃないか。
そんなのが、いったい音楽といえるのか?
もう、そんなのはいい加減うんざりだ。もううんざりだよ。

言葉の乗っている音楽を聴かなくなり、言葉のない音ばかりを追い続けてきた。
それが唯一心を自由にしてくれるものだったから。
そして、ずいぶん長い時間が過ぎた。

でも、ほんとうは、ずっと歌を聴きたかったし、歌をうたいたかったんだと思う。
でも、聴きたい歌がなかったし、歌いたい歌もなかった。
でも、ずっと歌を聴きたかったし、歌をうたいたかった。
そんな私を解放してくれたのは、全く思いもよらなかった、台湾のミュージシャンたちだった。

彼等の音楽を聴くことで、ずいぶん当り前なことをずいぶん昔に忘れてしまっていたことに気付いた。
歌を聴くということは、つまり言葉を聴くということであり、彼等の声を聴くということであり、つまるところ、彼等の人間性に触れることなんだ、ということに。
そして、日本の今の音楽の何に、一番自分が苛立っていたのかに気付いた。
結局、今の日本の音楽は、まったく言葉が聞こえてこないし、声が聞こえてこないし、人間性も感じられない(もしくは、感じたくないような輩ばかりだ)ということなんだ。
そんなのは、音楽とはいえない。
そんな輩たちは、ミュージシャンとは呼べない。

いまどき、本当にミュージシャンと呼べる人達は、台湾を中心とする中華圏にしかいないんじゃないか、という気さえする。
彼等は、当り前のように自分で歌を作り、自分で歌い、人に曲を提供し、人と共演し、人のコンサートにゲストに出演し、国境を軽く飛び超えて活動する。
そこにあるのは、音楽という絆であり、中国語という詩的なことばであり、何より確固とした彼等の人間存在だ。
詩的なことばを、のびやかなメロディーにのせ、自分の声を朗々と響かせて歌う。
そういうのを、歌といい、そういう人達を、ミュージシャンというのではなかったか。

長くなってしまったが、あと2つのことは言わなければならない。

ひとつは、私が何年か中国語を勉強してきたにも関わらず、その言葉の向こうにあるもの、そしてその言葉そのものに対して、自分としての接点を見つけられず、苦しみ続けたということを。
接点が見つけられない限りは、その言葉は自分のものとはならず、辞書に載っている意味を知っていたとしてもそれは本当の意味での「言葉」にはなりえない。
それが、彼等の音楽を聴いていたとき、突如として言葉というよりは自分自身の感覚として、歌詞の内容が理解できたことがあった。
その時の感動は忘れることが出来ない。
初めてすべてのものに名前があることを知ったヘレン・ケラーのように、そのとき初めて中国語は、私にとって生きた言葉となりえたのだ。

中国語は、詩的な言葉である。
ひとつには、言い回しが詩的だ、という意味において。
もうひとつには、2重母音を多用し、1音節が1つの意味を持つ言葉であるため、メロディーに乗せやすくメロディに乗せると美しいという意味において。
聴いていても自分で歌っていても気持ちのいいこの言葉を、私は初めて美しいと思い、好きになることができたのだった。

もうひとつは、香港の音楽のことである。
香港には、映画にも出て歌もうたってCDも出してコンサートもやる、という人達がたくさんいる。
香港のマーケットの力や映画の影響力の大きさもあり、中国語圏の音楽というとそういう人達が今だにまっさきに出てきてしまうところがあって、私もつい最近まで中国語圏の音楽というのはそういう映画アイドル的な人達しかいないのかと思っていた。
そういうなんとか天王とかいわれる人達のことがいまひとつ好きになれなかった私は、そこから先に長い間入っていくことができなかった。
私もレスリー・チャンの熱烈なファンだし、香港のアイドル世界もそれはそれで魅力的な世界ではあるのだけれど、個人的には、ミュージシャンとはそんなふうに俳優業の片手間にやるようなことではないという感覚があって、もし私と同じ様な感覚を持っている人が同じ理由で中国語圏音楽を避けるとしたら非常に残念だと思う。
実は、そんな彼等の向こうに、ひたすら音楽を愛するミュージシャンたちがたくさんいるのだ。

心から、歌を、音楽を愛する人達に、私は台湾を中心とする本当のミュージシャンたちを紹介したいと思う。
私が、心から愛する、大好きな彼等を。

(中華圏音楽紹介のコーナーは近日中新設予定です)

(NOV. 22, 1999)

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