
今ごろになって、「頭文字(イニシャル)D」にはまっている。
数年前に「すごく面白い漫画がある」という話は聞いていたのだけど、車(4輪)、しかも走り屋の話、と聞いて、当時2輪に乗っていて4輪の走り屋は敵だと思っていた(笑)私は全く興味がなく、同じ作者の「バリバリ伝説」は愛読したのに、読まないまま今まで来てしまった。
それが、その後F1を見るようになってすっかり4輪の世界にも憧れるようになってしまい、たまたま今放映中の「頭文字D-second stage-」を見てからというもの、すっかり夢中になってしまった。
残念ながら、second stageはもうすぐ終わってしまうようだが、1シリーズ目のビデオを全部見て、つくづくなんとよくできているのだろう!と感動した。
原作の漫画も少しずつ読んでいるが、アニメはほとんど原作を忠実に再現されているので、要は原作が実によくできている、ということなのだろう。
主人公は、18歳で免許を取ったばかり、しかしなぜか運転のキャリアは5年もある(!)、ドリフトの天才の高校生、藤原拓海。
家業は豆腐屋。父親との二人暮し。
しかし、この豆腐屋の父親が癖者で、若い時はラリー屋だったとかで伝説的に速かったらしい。
その父親に豆腐の配達を中学1年の頃から手伝わされるうち、教えられた訳でもないのに知らず知らずのうちに拓海は驚異的な運転技術を身につける。
本人に全く自覚はない。
それどころか、運転は無理やりやらされているので、楽しいなどと思っていない。
それが、たまたま配達のときにある走り屋と一緒になり、勝ってしまったことで、本人の意思に関わらず走り屋の世界に足を踏み入れることになる。・・・
次々といろいろな走り屋といろいろなバトルをしていくのだが、そのバトルが1回1回全部違っていて、しかもその都度1つ1つ拓海が進歩していくのが実に面白い。
アニメでは、CGを使っていて、実にリアルなバトル・シーンが表現されている。
ちゃんと監修にプロのドライバーもついていて、ドリフトも本当にリアルである。
本当にどきどきしながら、何度も何度もバトル・シーンを見ていくうち、しかし、そんなにも魅かれるのは車の動きのリアルさだけではないと気付いた。
バトルをしている背景、つまり「峠」の描写が実にリアルなのだ。
私も自転車やバイクで峠を越えたことが(口が裂けても「攻めた」とは言えない)何度もあるので、「そうそう、峠ってこういう感じなんだよねー」という感じなのである。
道路の狭さ、曲がり具合、周りの植生、コーナーを曲がるときの下界の眺め、夜樹木にライトが反射する感じ、などなど。
1度でも峠を走ったことがあれば、誰もがその時の感動を思い出すことだろう。
自分が峠を走ったときの感覚を思い出し、それを画面の中のバトル・シーンに重ね合せることで、まるで自分が実際に走っているような感覚になり、興奮が頂点に達してしまう!のであるのだと気付いた。
こればかりは、エンジン付の乗り物を自分で走らせて峠を越えたことのない人にはたぶんわからない。
(まあ、本当のことを言えば、拓海のように限界まで攻めないと同じ境地は理解できないだろうが、まあそんな人はまずほとんどいないので、ゆっくりでも走ったことがあれば、ということにしておこう)
今は私はバイクには乗っていないのだが、そういう感覚を覚えているということは実に幸せなのだと思った。
うーん、また乗れる日が来ればいいな。
ところで、香港に行ったとき、「頭文字D」のVCDが売っていたのを見た。
その時は「へえー、香港でも人気があるんだ」程度しか思わなかった。
しかし、今考えてみると、あれを香港の人はどんな風に見るのだろうか、と思う。
香港には、あんなような峠など、ないと思う。
いや、香港に限らず、日本以外の国にあのような峠はあるのだろうか?
アスファルト舗装が整備されていて、ガードレールやカーブミラーがあって、やたらとくねくねしていて、勾配が急で、木がたくさん生えていて、眼下には街が一望できるような峠。
あの整備の金のかかり方、どんなに急で狭いところにも道路を作ってしまう執念、豊かな植生というのは、かなり日本独特のものではないかと思う。
峠という峠にそのような道が走っていることは、つまりは開発と観光化の結果であって、必ずしもいいこととは言い切れない。
しかし、この狭くて山脈が列島を走っている日本で生活していくには、そんな峠道というのはかなりの人の日本の原風景に、実はなっているのではないのだろうか?
香港の人は、おそらく、そのような風景に、未知のものに対する漠然とした憧れは持ちながらも、単なるストリート・レーサーの、速さを競う話としてのみ見てしまうのではないかと思う。
あの峠の風景を見て郷愁を感じるのは、日本人としての(少なくとも本州の人間としての)アイデンティティにつながるような気がする。
あるアメリカ人と一緒にアメリカ映画を見ていたとき、あるシーンで出てきた荒涼とした砂漠のような風景を見て、彼は「これは僕の育った街の近くだ。実に懐かしい!」と感動していた。
しかし、当然ながら、私にはまるで遠い場所のことにしか見えず、そんな寒々とした風景を懐かしいなどという彼が火星人のように思えたものだった。
彼は「頭文字D」の峠道をどのように見るだろうか?
開発された醜い日本の風景として見るだろうか?
原風景とは、客観的に美しいとか美しくないとかとは全く別の次元のものである。
そして、峠は、私にとっては間違いなく、原風景のひとつなのだ。
そのことに気付かせてくれた「頭文字D」は、実に日本的な作品だと言えるだろう。
だいたい、峠の走り屋なんて、日本以外にいるのだろうか?
(JAN. 9, 2000)