愛というのは手を放すことだ

数日前、伍佰さんのページを作った。
去年台湾ポップスに入り込んで以来、台湾の音楽を紹介するコーナーはずっと作ろうと思っていたのだけれど、その後伍佰さんがあまりにすごかったため彼以外の人はほとんどどうでもよくなってしまい、結局伍佰さんだけのページになった。

彼は、本当に久しぶりにというか、ほとんど初めてというか、魂に語りかけてきた人だった。
だから、自然に、彼のことを紹介しようとすると、こちらも魂をかけて真剣になった。
彼の魂を、私という人間の魂を通して紹介する。そういう作業だった。
訳詞も間に合うだけたくさん載せた。その訳作業も、言葉の問題を超えて、いかに彼の言葉を自分に内面化し、彼の魂を自分のものとするか、という作業だった。
それは本当に感動的な行為だった。実に甘美な世界だった。
そして、そういう作業を通してできてきた詞、そしてページ全体は、私と彼の魂の入ったものになった。

それをネット上に載せるときには、我ながらこんなすごいものを公開してしまってよいのか、と思うぐらい感動して胸が高鳴った。
実際、それだけ真剣に作ったものだし、実際自分でいうのも何だけれどかなりいい内容だと思うので、早速見てくれた人はみな感動してくれた。

でも、実は今ちょっとやりすぎたかな、という気がしている。
ネットの世界の怖さを甘く見たかもしれない、とも思う。
ネット上に載せるということがどういうことなのか、あまり自覚がなかったので、実は取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない、と思ってもいる。

いくら注意書きで「2次使用は絶対にしないでください」とか言っても、一旦ネットに載せてしまえば、その内容は誰がどういう気持ちでどのように作ったのかなどということは一切取り残され、必要な部分だけが切り張りされ、簡単に転記され、どんどん一人歩きして、あっというまに消費されてしまう。
なんだか、自分の魂を入れたものを、あまりに安易に人に譲り渡してしまったように思っている。
自分の本当に大切なものが、自分の全く知らないところで、どんな風に利用されてしまうのだろう、と思うと、すごく傷ついてしまった。
自分も傷ついたけれど、伍佰さんのためにも、果たしてこれでよかったのだろうか、と思うと、すごく悲しい。
伍佰さんに捧げます、なんて言ったって、それが本当に彼のためになったのだろうか?

ふと、村上春樹さんの気持ちがわかったような気がした。
彼の書いた「ノルウェイの森」が何百万部も売れたことで、彼は本当に傷つき、孤独になったという。
それ以前からの読者として、私は「ノルウェイの森」がいかに彼にとって特別な小説で、いかに彼が魂を込めて書いたものなのかを知っている。
それが、あんな売れ方をしたために、「流行小説」のレッテルを貼られ、あっというまに消費し尽くされ、たくさんの見知らぬ人達が彼の魂の上を土足で踏みつけて行った。
そして、彼はその後何年も日本に帰ってはこなかった。

そのことで、彼はタフになったと言った。
でも、彼は強くなれたかもしれないけれど、彼の魂の入った「ノルウェイの森」は、踏みつけられ、傷ついたままのように思う。本当に、胸が痛む。

でも、私は、あの小説は本当に好きだし、自分にとって最も深い部分に届いたかけがえのない作品である。
そのことは、あれが何冊売れようが誰が何と言おうが、全く揺らぐことがない。

そして、今回、伍佰さんの「ノルウェイの森」を訳していたとき、本当に久しぶりに、あの小説の中の直子さんとワタナベくんが降りてきてくれた。
彼らは、私の深い部分にある傷を知っている、心の許せる旧い友人なのだ。
彼らが降りてきたことで、その曲を作った伍佰さんも、本当に村上春樹さんがあの小説で書きたかったことを理解し、感動したのだということがわかった。
本当に、嬉しかった。

たとえ、いくら消費され、土足で踏みつけられたとしても、海を超え、届くべき人のところにはきちんと届いたのだ。

私の魂を通した伍佰さんの魂も、届くべき人のところにしっかり届いてくれればよいと思う。

伍佰さんの曲の中に、「一生最愛的人」という曲がある。
自分が一番愛した人だから、それだからこそ、自分の手から相手を手放す、という歌だ。
その曲のMTVでは、ギターを弾く彼にとっては自分の身体と同じはずのギターを、自らの手から手放し、落として壊してしまう、という衝撃的な映像が出てくる。
私もギタリストの端くれなので、何度見てもその度に背筋が凍る。
そして、それを見る度に思う。
愛というのは、自分が大切なものにしがみつくことではなく、自分の手から手放すことなんだ、と。
そして、その手放した痛みを受け入れることなんだ、と。

私はずっと、そういう愛し方というのは自分には絶対にできないと思っていた。
でも、今私がしなければならないことは、自分の魂を通した伍佰さんを、自分の手から手放すことなのだ。

今のこの痛みに耐えることで、愛について学ぶことができるだろうか?
そして、その痛みを受け入れたとき、その時こそ本当にあのページが私の「愛の証」になるのかもしれない。

「流浪伍佰的世界」が、届くべき人のところに届きますように、そして、それが伍佰さんのためになりますように。
明日、村上春樹さんの新刊と伍佰さんのMDをどっさり携えて、旅に出る。
伍佰さんに会うために。

(Mar. 23, 2000)

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