
とうとうドラマ「ロング・バケーション」が終わってしまいました。最近のドラマは、意味もなく悲しい終わり方をするのばかり多かったので、今回も一体どうなることかととてもとても心配でしたが、本当に素敵な終わり方をしてくれたので本当に良かったです。
ドラマ自体は非常に軽いノリでさらっと作ってあったので、楽しく気楽に見ていたのですが、最終回を見終わってみると、自分の心の奥を大きく揺さぶられていました。知らないうちに心の奥に閉じ込めて忘れたつもりになっていたものを、ぐいっとつかまれ、目の前に「ほらっ」と見せられたようでした。こういう思いは、ちょうど1年前の宮崎駿さんの映画「耳をすませば」を見たときにもそうだったのです。(私は映画館で5回も見ました)
考えてみれば、今回の「ロング・バケーション」も「耳をすませば」も、物語のすじは、普通の人なら無理だと諦めてしまうような夢を追っている人が、夢を実現させていく話、です。そして、女の子は男の子を好きだと思う気持ちを押さえがたく持ちながら、自分が自分の人生で何をやっていけばいいのか、ということを一生懸命考えて、少しずつでも形にしていこうとしている。自分の人生は自分で考えていくという姿勢を持ちながら、しかし、いやだからこそ、2人の間の絆は確かなものになり、同じ方向を遠くに見つめながら、一緒に生きて行くことができる。二つとも、そういう共通点があったと思います。
ピアノの実力が人に認められた瀬名くんにくらべて、まだ自分が何をやりたいのかはっきりわからず、当然まだ人にも認められていない南ちゃんは、年上とはいえかなり遅れを取っているはずなのだけれど、南ちゃんは、ボストンに行っても、きっと写真スタジオかなんかを見つけて写真を続けていくだろうし、マイペースで楽しく生きて行くんだろう。そんな、好きな人と一緒にいながら自分のペースを持って生きていける女の子って、素敵だな、と思う。
今回のドラマのタイトル、「ロング・バケーション」は、自分がやるべきことが見つかるまでのモラトリアム、神様がくれた長いお休み、という意味でした。それも、非常によくわかることなんですねー。瀬名くんは、25歳でもう長いお休みは終わった、と言い、実際ピアニストとして活躍を始めてしまったのですが、南ちゃんのお休みは、瀬名くんとボストンに行った後も、まだまだずーっと続くんだと思う。長いお休みが終わる時っていうのは、瀬名くんのピアノのように、それまで自分の中にあった壁が、どこかに消えて行ってしまう時なのではないでしょうか?その時、自分の中では確実に何かが変わるんだと思う。
映画「魔女の宅急便」のプログラムの中で、宮崎駿さんはこう書いています。
「かつての物語の主人公達にとっては、艱難辛苦の末獲得する経済的自立が、精神的自立そのものでした。今日、経済的自立は必ずしも精神の自立を意味しません。親元を離れるのも通過儀礼というには軽すぎ、他人の中で生活するにも、1軒のコンビニエンスストアで足りてしまう時代に、少女達が直面する自立とは、いかに自分の才能を発見し、発露し、自己実現するかという、ある意味でより困難な課題なのです。」
南ちゃんも、自己実現に向かって、まだまだこれから長い長いお休みが続くのではないでしょうか。
そして、私自身も。
いったい、「ロング・バケーション」には終わりが来るのか、いい年をしていつまでもお休みでいいのか、とつい焦ってしまいます。でも、人生は自己実現に向かう終わりのない旅なのだし、自分の才能は常に発見し続けるべきものだと思うと、もしかしたらこのお休みは一生続くのではないか、という気もします。それでいいのかもしれません。決して停滞することなく、常に自分を発見し続けることが、これから大きく変化していくだろうこの今の時代を生きるには必要なことだと思うし、そういう生き方をすることで孤独になるのではなくて、一緒に未来を見つめて夢を追って生きていける人がいる、ということを希望に満ちたかたちで見せてくれる。そんなハッピーエンドの自分を探し続ける男女の話を、今の時代は必要としているのだと思います。
だから、「ロン・バケ」がハッピーエンドで、本当に良かった!
(Jun. 26, 1996)