そして、流浪する

私の中で、歌詞の違う「浪人情歌」が流れている。

 もう何かをやろうなんて思わない
 もう何かになろうなんて思わない
 日々の時間をそっとやり過ごし
 何も跡形に残さない
 私の名前は 誰の記憶にも残らない
 2度と再び無力感に
 おそわれることはない
 ・・・・


私が写真家になれなかった理由

テレビで、土門拳賞を受けたという、金村修さんという若い写真家の人が喋っているのを見た。
実は、彼は私が出た写真学校の先輩である。
彼の写真は、ひたすら醜い(?)東京の姿を撮り続けているもので、これからもおそらく彼はずっとそれを続けていくのだろう。
彼は、表現とは自己満足を超えたところにあると言っていた。
自分は黒子であり、大事なのは被写体であって自分ではない、とも言っていた。
私が写真をやめた理由も、その辺にある。

写真を撮るという行為は、誤解を恐れずに言えば、よほど自虐的な人と自己顕示欲の強い人でないと続けられないように思う。
通常の人は、当然何かの行為をする時には「自己満足」を求める。
大量にフィルムや印画紙や現像液を浪費し、無制限に時間と労力を費やして、その結果得られるごくごくわずかな写真。
そして、手元に残る膨大な量の使用済みフィルムとボツになった印画紙。
それを続けられるには、よほどそのごくわずかに残った写真に満足を感じられるか、その一連の不毛な作業自体が楽しくて好き、という人である必要がある。
あるいは、自分の感情を抹殺してでも単調な行為を続けられる自虐的な人。
私は、後者のような人がそういるとは思わない。
おそらく、彼は自己満足は求めないとは言っても、何らかの満足はその行為の中から得ているのではないかと思う。

私が写真をやろうと思ったのは、当時非常に悲しいことがあった後で生きる意欲を全く失っており、外界への興味を全く失ってしまっていたため、無理やりにでも外界に目を向けなければ生きていけないような追い詰められた状況にあったためだった。
言ってみれば、写真が目的であった訳ではなく、写真を撮るという状況に自分を追い込むことで、外に出て被写体に向かい合わなければならない状況を無理やりにでも作り出すことが目的だった。
であるから、もともと写真を撮ることが好きだった訳でも、物としての写真が好きだった訳でもない。
そんな訳だから、できてくる写真にも一連の行為にも自己満足が得られるはずもなかった。
街に出て、ひたすらシャッターを押しつづけることは、まさに苦行そのものだった。
でも、それを無理やり繰り返しているうち、あるときふっと、街や人への恐怖心が消えてなくなった。
何かを乗り越えられた瞬間だった。
そのことで、私の写真をやった目的は達せられたと思った。

金村さんが在学中に、何かが吹っ切れた一枚の写真というのが出ていた。
自分の力からも、意図からも、期待からも離れた一枚の写真。
まるでその写真自体が独立した生命力を持っているかのような写真。
同じような一枚の写真を、私も撮ったことがある。
それが何になるのかもわからないまま、ひたすら人ごみを撮り続けていた中で、あるとき偶然に撮れた1枚の写真だった。
それは、非常に不思議な写真で、ビルの反射光で人々の顔がライトアップされ、たくさんの人がそれぞれ全く違う方向に向かい、そのばらばらな時を一瞬にして止めながら、それでいて妙に長く引き伸ばされたような時間が凍結された写真だった。
自分が全く意図しなかった写真に、私自身も不思議さを感じ、何人もの先生も面白いと言った。
でも、私としてはそれが何なのかはわからなかったし、不思議さは感じてもそれが膨大な作業の結果得られるだけの価値のあるものだとは思えなかった。
だから、私は続けることはできなかった。
卒業製作は、「すべては砂に帰す」と題して、砂の表面ばかりを撮った。
それ以来、写真は撮っていない。

同級生で、入学したばかりのときに、なぜ写真をやろうと思ったのかと聞かれ、「幸せになりたいから」と答えた男の子がいた。
みんなは笑ったが、私は全く同感だった。
おそらく、みんなも笑いながらも同じ気持ちだったことだろう。
幸せになることが大事なのだ。
写真によって幸せになれないのなら、写真をやる意味なんてない。
それとも、自己満足を超えているということは、幸せになりたいという希望まで捨ててしまえるということなのだろうか。
私にはよくわからない。
でも、たぶん苦行的行為を続けながら、どこかで欲が満たされているのだろう。
私は写真家にはなれなかった。
それだけのことだ。

私がギタリストになれなかった理由

大西順子さんというジャズピアニストの人が、いつか言っていた。
要は、いかに自分の生活をデディケイト(捧げる)するか、だ、と。
彼女は、ライブをしたり食べたり寝たりする以外の時間は、すべてピアノの練習をすると言った。
そして、それは、すべての音楽家に共通する生活だと思う。
いや、音楽家に限らず、何かを極めるためには、すべての時間を、生活を、そのことに捧げる必要があるのだ。

なぜだかクラシックギターに取りつかれて、しばらく毎日ギターを弾いていたことがあった。
ギターを弾けるようにならなければ、先に進めず、何も世界が見えてこないような気がして。
それでも、私がギターを弾いていたのはたかだか毎日1時間か1時間半ぐらいのものだった。
初めのうちは、その程度の時間でも上手くなっていける。
でも、基礎的なことが終わって、長い曲や難しい技巧などが出てくるような段階になってくると、1時間やそこらでは全く時間が足りず、技術の現状維持が精一杯で、それ以上に上手くなどなれないようになる。
そうなると、それこそプロでもないのに自分の時間をすべてギターに費やさなければ上手くはなれないような状況になる。
自分の生活をすべて捧げてまで、自分でギターが上手くなる必要があるのだろうか。
しかも、どんなに頑張ったところで、自分より上手い人など星の数ほどいる。
それこそ、なんらかの「自己満足」をそこに感じられなければ続けることはできない。
あるいは、自己満足を超えて、ひたすら自分の生活を捧げられる人でなければ。
私はどちらでもなかった。
時々ギターを弾きたい気はするけれど、自分の生活をすべて捧げる覚悟はなく、上手くなっていけないまま続けるのも不毛だし、もうずいぶんギターには触っていない。

私が建築家になれなかった理由

才能がなかったから。
それだけのこと。
そして、才能がなくても続けていくほど、好きでもなかったから。


なんだか、いろんなことをやろうとして、その度に挫折してきたけれど、どんどんやめる理由が簡単になってきている。
結局、自分は何かを作ろうとかやろうとかいうエネルギーも才能も希薄で、創造的な人間ではないということがようやくわかってきた。
良い鑑賞者であるということと、それを自分で実際にやるということの間には、とてつもない大きな隔たりがある。
大体、私が何かを心からやりたい、したいと思って始めたのではなく、動機は自分は何者かであるはずだ、何者かになれるはずだ、という、つまらないプライドだったように思う。
自分は何者でもない。
何者にもなりえない。
何事もなさない。
ああ、そうなのだ、自分は何者でもなく、何者にもならず、何事もなさないのだ、と思ったら、なんだかすごく楽になったような気がした。
それでも、生きていけるのだということに気づいたとき、なぜ今までずっと、何者かにならなければいけないと思っていたのだろう、と思った。
これは、逃げなのだろうか。
諦めなのだろうか。
人生を捨てることなのだろうか。
やはり、何者かになろうとして努力を続けるべきなのだろうか。
今の自分にはわからない。
でも、何者にもなりえない自分という人間の価値を、自分自身でしばらく受けとめていたいという気がする。
果たして、そういう自分が本当に無価値なのかどうかを。

(MAY 19, 2000)

最近我想のページに戻る
ホームページに戻る