
「アジアン・ニューウェーブ映画の旗手」ウォン・カーウァイ監督の2作品「欲望の翼」と「恋する惑星」を見に、行ってきました、池袋は文芸坐。いやあ、びっくりしましたね、開演の30分前には、すでに長蛇の列ができていました。朝1番の回から、客席のほとんどは埋っていました。ほとんどが20代の若者たち。彼を支持する人達がこれだけいるというのを見て、思わず極東アジアの21世紀は明るいのではないかと思ってしまいました。
私が初めて彼の作品を見たのは、昨年1995年秋、「恋する惑星」でした。中国語を勉強している関係で、なるべく中国関係の映画は「勉強のために」見るようにしているのですが、そのほとんどが本当に「勉強のため」だけに無理して見なければならないしろものでした。自分とはあまりに感覚が違いすぎて、自分を投影できないで終わってしまい、「そうか、中国人はこういう風な映画を見て感動するのか」と頭で考えるだけでした。それが、彼の「恋する惑星」を見て、中国映画観が一挙に変わってしまったのです。
それは、香港映画という枠を超えて、私がいままで見た映画の中でも最も感覚的にしっくり来る映画でした。趣味がぴったり合ったということなのかもしれません。青春映画であること、どろどろした悲しさがないこと、感覚的であること、退廃的でないこと、人と人との出会いをテーマとしていること、そして、空間のとらえかた、時間のとらえかたが何よりも私を惹きつけました。
彼の映画の中では、何人かの登場人物たちが、街の中で不思議な、そして素敵なすれちがい方をします。必然か偶然か、ある時、ある場所で、見知らぬ人と出会い、すれちがう。あるものはそこから関係を持ち始め、ほとんどはただすれちがう。関係を持ち始めたものも、確かな関係になっていくわけではなく、切れそうな細い糸をたぐり寄せたり、見失ったり、切ってしまったりする。でも、それを彼は悲しいとはとらえずに、あくまで肯定的な価値のある出会いであり、価値のある瞬間であるとしてとらえているところが、私は非常に好きです。
ひとりの人間とひとりの人間が、ある空間と、ある時間を共有する。それは、人が生きるということの中で最も小さな、しかし揺るぎない真実です。生まれがどこであろうと、家族がいようといまいと、仕事が何であろうと、誰でもその真実を共有しています。だからこそ、彼の映画が普遍性を持つのだと思います。
彼が民族性や家族を描かずに、そのすれちがいという最も小さな真実を描いているのは、彼が香港の人であることと深い関わりがあります。帰属する国を持たない、いつどこへ移るかもわからない、あくまで「通過地点」である場所に生きていくなかでは、最も重要で信じることができるのがその瞬間を共有するという真実なのだと思います。いうなれば、それが「香港人」としての民族性と言えるかもしれません。
そんな彼の映画を象徴するのが、「恋する惑星」の主演の一人である金城武(カネシロ・タケシ)さんです。彼ほど帰属する場所を持たない人はいないのではないかと思います。何しろ、彼は日本人と台湾人のハーフで、台北に育ち、アメリカン・スクールと日本人学校で教育を受け、日本語、台湾語、北京語、広東語、英語をあやつる人なのです。名前が日本語読みなので日本国籍なのかもしれませんが、彼のようなタイプのマルチカルチャーな人というのはなかなかいないと思います。そういう点で、彼ははからずもどんな香港人よりも香港的な人であり、ウォン・カーウァイ監督が表現するものをそのまま体現したような人であるわけです。
この映画のなかの彼の台詞も、字幕で見ている限りではよくわかりませんが、日本語、広東語、北京語、英語を場面によって使い分けていて、広東語と北京語の違いがわかる人にとってはその辺もかなり楽しめます。
そのカネシロくんがまた主演した、ウォン・カーウァイ監督の最新作「天使の涙」が、今渋谷のシネマライズで上映中です。香港映画はジャッキー・チェンしか見たことがないという人も、ぜに見に行ってみてはいかがでしょうか? 私もまだ見ていないので、見たらまた報告します。
「恋する惑星」と「欲望の翼」もとってもいいですから、ビデオででもぜひ見てみてください。 変な言い方ですが、自分が同じアジア人で良かった、と心から誇りを持てるような映画です。
(Jul. 6, 1996)
<追記>
「天使の涙」見に行ってきました。
表現していることはやはり人との出会い、すれちがいということだと思いますが、監督自身が「『恋する惑星』が太陽だとすると『天使の涙』は月」と言っているように、この作品は陰の部分を出してあるからかもしれませんが、「恋する惑星」にあった崇高な部分がなくなっている気がしました。
疾走するバイクといい、うらぶれたマンションといい、台湾の蔡明亮監督の「青春神話」を彷彿とさせるものがありました。好き好きの問題かもしれません。
ただ、カネシロ・タケシくんがとてもいい味を出していた、とだけ申し上げておきましょう。
(Jul. 7, 1996)